主に食べ散らかし・遊び・猫、たまに乳がん

Author Archives: ちなつ

みなさま、プチご無沙汰しております。
ジェットコースターに乗りたいと言いましたが、実際も乗りましたが(えっ(w)
体調もジェットコースター化しております(^^;;
でも、お子様のジェットコースターぐらいなのでご安心ください(^^)v
やっぱ、熱を出したりするとベッドから動けず何も出来ないですからね(^^;;
こう言う時に、独り者は困ります( ̄▽ ̄;A ふきふき・・
体調の方とお出かけ日記はまた、別記事でUPする事にしまして、
今回は、お礼とご無礼をお許しくだしゃんせ、と言う記事でございます。

心のどこかで、このままなんもなく、80ぐらいまで生きるのかな?
70になっても走ってる、元気でファンキーなばーちゃんになりたいな、
なんて思ってたのは半年も経ってない前の事。
ちょっと嫌な予感はしたものの、えー!そんなに私って悪いの?
余命1年てなんなのよ!
正に、ガックリイカフライな私だったわけですが、
こんな私にみなさまから、お見舞いとか、頑張れ!のお気持ちを
いっぱいっぱい籠めて、有形無形の色んな物を送っていただきました。
形あるものは、下記に写真でご紹介させていただきます。
全部を網羅出来てないかもしれませんので(撮る前に胃袋に消えたとか(笑)
写真がちっちゃくて何が写ってるかわかんないものとかもあるかも(^^;;))
ご了承くださいm(__)m
あ、ここにUPするからと言って、みなさま、もう気を使わないで
下さいませね!

体調の浮き沈みがあるので、調子の良い時に、
届きました&ありがとう!メールを送ったりしましたが、
メールを持たない方や、お手紙を送って下さった方には、
お礼の気持ちを伝えられておりません。
改めて、心身共に元気な時に時間を作ってお返事したいと思っておりますが、
もし、これをご覧になっていたなら、「ちゃんと届いております。
ありがとうございますm(__)m」とお伝えしておきたいと思います。

そして、本来なら快気祝いとしてニッコニコでみなさまにお返しをするところ
なのですが、完治は難しそうですし、調子良くいった場合は長期戦に
なるでしょうから、ずっとお返し出来ない事になります。
それに、快気祝いはすっかり治って忘れた頃に出さないと、
うちの母のように出して直ぐに亡くなっちゃうなんて縁起の悪い事に
なるらしいので(これ、後から聞いたので、その時は知らなかったんです)
どっちにしても今回の私の場合においてはお返し出来ない感じなんですよね。
と言う事で、もらいっぱなしになっちゃって非常に恐縮ですが、お許しをm(__)m

本当に、メールやお手紙、添え文でも、頑張る力になるお言葉を
いっぱいいっぱい戴きまして、感謝!感謝!です。
長期戦に持ち込めるよう、なるべく長く生きられるよう、
頑張りますね!(^^)v
本当に、ありがとうございますm(__)m


restartからのはじめの一歩です。
8月8日、家族が居ないので、保証人と言うか、そう言う人が必要!
と言う事で、組長と、組長の母上に付き合ってもらって病院へ行ってきました。

先ずは先週に受けた、血液検査、CT(胸部腰部)、骨シンチ、MRI(脳)の結果、
6年前に癌で無いと言う事で腫瘍とのう胞だけ摘出した左側の胸に再発、
そしてその左のリンパ(脇)に転移がみられました。
(左の胸は、右の胸と同様に乳腺症だと言っていたぞ、じじぃ!凸(-_-メ) )
でも、肺、骨、脳には転移はみられませんでした。

そして、肝臓の腫瘍は大きいので1.8cmぐらいのものが多数あると言われましたが4月に撮ったCTと比べてみて、
少しではありますが縮小していました!\(^o^)/
と言う事で、TC療法が効いているとみなしてTC療法を続ける事になりました。

主治医曰く、楽しく生きる為に抗がん剤をするのであって、
辛かったら無理する必要も無いし、旅行やコンサートに行きたければ、
スケジュールも考えてくれるそうです!
辛い治療より、QOLを考えた治療を優先しているようです。
組長がすかさず「この人、ビールが大好きなんです」と言ったところ(笑)
中ジョッキぐらいなら毎日飲んでも大丈夫!とお墨付きを戴きました(^^)v
ほどほどに飲むなら量は気にしなくても大丈夫みたいです\(^o^)/やったー!

余命についても聞きました。
主治医は、じじぃの言った余命1年は10年前の頃の話であって、今は違うと。
さしあたり、1年1年と心配する必要はないようです。
しかし、半年や1年で死んでしまう事は可能性としてはありうるので、
覚悟とか準備と言うか、心しておく必要はあると言われました。
でも、さすがに10年生きるのはは難しいかもしれないらしい(^^;;
現実的には、5年頑張ってる人もここに通っていらっしゃるようですので、
「じゃぁ、5年頑張ればその間に新しい薬や治療も出る可能性あるでしょうから
5年頑張ります!」とにこやかに宣言して診察室を出ました。

次に、抗がん剤治療をしてくれる医師の部屋へ案内されました。
この先生も穏やかでしっかり説明をしてくれる医師でした。
CA15-3の腫瘍マーカーは今回も下がっていましたが、
マーカーの数値の上下に一喜一憂しなくても大丈夫だよ、と。
そして、じじぃのメモ(これは私が治療中にお願いしてもらったもの)に
抗がん剤の種類と量が書いてあり、身長と体重で換算したところ、
半分とまではいかないものの、2/3にも満たない量であった事が分りました。
これから、通常量の抗がん剤を使えば、副作用もこれまでとは違い、
とても辛くなるけれど、薬とかを使ってしっかり対処していきますので、
頑張りましょう!と握手を求められました。
ここなら、しっかり命を任せられそうな感じで、安心して病院を後にしました。

6年前、小さなクリニックで治療を受けてる事に対して、
本当に大丈夫なの?と思われた方も多いと思います。
ま、その頃は名医だと聞いていたのを鵜呑みにして、
全く疑う事をしませんでしたし、自分に良いように考えてもいました。
今から思えば大馬鹿者ですね、私(-_-メ)
皆さんからの情報や教えを聞いたり、転院してからの話を総合すると
癌とわかって再手術やリンパをとらなかったと言うじじぃの治療や
再発してから使った抗がん剤の絶対量が不足していた事とかに対して、
不信感は残りますが、6年前に再手術をしていたら再発転移は無かったか?
との質問に、それはわからない、と言う答えなので、
今更、タラレバの話をしてもしょうがないし、過去は変えられないので、
これからの人生を、出来るだけ楽しく、長く生きられるように、
最大限頑張って生きたいと思います!
先ずは1年、次の誕生日を笑顔で迎えるのを目標にします!
え?短い?いや~控えめな性格なのでσ(^◇^;)先ずは1年よ!
そうやって、気がついたら10年経ったじゃん!なんてのを夢にします。

副作用のしんどくない時とか、骨髄抑制で人ごみNGな時以外は
楽しい事を積極的に求めていきますので、
みなさん、あれこれお付き合いよろしくね!(^з^)-☆Chu!!


「あの時、こうしていれば、あぁしていれば。」
少なからず、誰でも思う事はあると思う。

私の受けていた治療は生温く、命を繋ぎ止めておくには
なんとも頼りない治療だったのだ。

再発転移の話をした時、多くの皆さんから、セカンドオピニオンを勧められた。
みなさんが、そんなにも勧めて下さるのに、すぐに行動できなかったのは、
お尻があがるのが遅いタイプなのと(^^;、しっかり自分で納得してからじゃないと
行動できない性格だから。
重い腰を上げたのは、「今の動けるうちに変わらないとヘロヘロになってからじゃ
受け入れてくれる所が無いかもよ」と指摘されて我に返った感じ?
なかなか人の話を聞いてくれない、じじぃへお願いするのが面倒だったのも
セカオピや転院に行動を移すのを妨げていたのは否めない。

思えば、2月にCA15-3が49になってたにもかかわらず、
なんの検査もせずに様子をみると言われた時に不安になったし、
じじぃに不信感もつのった。
その時に、セカオピや転院を考えれば良かったのよね。
身体の不調も虫の知らせ的だったのかもねぇ?
今言っても遅いけど、、、

そして今日、7月30日。
転院先の病院へ行ってきた。

割と若い男の医師で、いわゆる脂ののった、と言われる年代のような気がする。
先ず、家族を連れてきていない事を指摘されるが、家族が居ないし、、、
居なくても後見人なりなんなり、と色々あったが、
言うべき事はちゃんと言い、こちらの話もちゃんと聞いてくれるタイプなので、
話はしやすいと思うし、これからもお願いできそうな感じの医師だった。

じじぃの紹介状は、しっかりとした情報が提供されておらず、
な~んか予感がして?とりあえずこれまでの血液検査の結果やもらった資料を
予め全部コピーして持って行ったので、その中の1枚が役に立ったが、
結局、じじぃの病院に聞いても何も教えてもらえないらしいし、
これまで紹介されてきた患者をみると、使っている抗がん剤は
量が全く足りていない事と、標準的な治療が全くされていないとの事だった。
だから、今の抗がん剤も全然しんどくないでしょ?と。
確かに、しんどくてどうしようもないって感じにはならなかったから、足りてなかったのね。
それに、6年前の癌の経緯を話し、グレーゾーンの腫瘍を切って癌が見つかっても
再手術や周りの脂肪、リンパもとらず、ホルモン治療、抗がん剤、放射線の治療を
行った旨を伝えると、その医師は絶句した。

総合すると、6年前の治療も、これまでも、そして転移してから行っている治療も
全く標準的な治療でなかったのだ。
なんでその病院に行ったの?とまで。
でもじじぃは「その医師は、わしが10年前に教えた」と豪語していたよ。
その教え子にぼろ糞に言われるじじぃって(^^;;;
ま、でも、医師って一線を退いたら役に立たないんだね。

そして、これから、辛くても抗がん剤の治療を受けるか否か、どこまでの治療をするか、その辺もお話し(抗がん剤はもちろん受ける、ボロ雑巾のようになってまでは治療は受けない等々)先ずは資料がほとんどないので、血液、CT、MRI、RIの検査を受ける事になった。

治療は1からのスタートになる。
身体は1からじゃないけどね(^^;;;

検査結果を待って、治療方針が決まる事となる。
治療もきっと、今の倍ぐらいはしんどくなるんじゃないかなぁ?と
思ったりしてるけど、まだもうちょっと生きていたいので(^^;
出来る限り頑張ってみたいと思う。
いけるところまで行って、きっと引き際は自分で判ると思うし、
無理なく楽しい一生にしていきたいので、先ずは今日、その第一歩なのかな?

これまで、セカンドオピニオンや転院を勧めてくださった皆様、
そして、心の底からのいっぱいの応援をしてくださった皆様、
ありがとうございました!そして、これからもよろしくお願いしますm(__)m
また、心と身体がフラフラだと、自分でしっかりとした判断が出来ない時があります。
セカオピや転院、医師への提案等々、何かあったら遠慮なく
ご意見ご指摘くださいますよう、切にお願いいたしますm(__)m

大きな病院へ行くと、それだけで自分がめっちゃ病人になった気分で嫌なんだけど
めっちゃ病人なんだし、ちゃんと現実見つめて生きなきゃね!
そして!次のオリンピックを見る為に、サンバの練習しなきゃね!(^_-)-☆