「あの時、こうしていれば、あぁしていれば。」
少なからず、誰でも思う事はあると思う。

私の受けていた治療は生温く、命を繋ぎ止めておくには
なんとも頼りない治療だったのだ。

再発転移の話をした時、多くの皆さんから、セカンドオピニオンを勧められた。
みなさんが、そんなにも勧めて下さるのに、すぐに行動できなかったのは、
お尻があがるのが遅いタイプなのと(^^;、しっかり自分で納得してからじゃないと
行動できない性格だから。
重い腰を上げたのは、「今の動けるうちに変わらないとヘロヘロになってからじゃ
受け入れてくれる所が無いかもよ」と指摘されて我に返った感じ?
なかなか人の話を聞いてくれない、じじぃへお願いするのが面倒だったのも
セカオピや転院に行動を移すのを妨げていたのは否めない。

思えば、2月にCA15-3が49になってたにもかかわらず、
なんの検査もせずに様子をみると言われた時に不安になったし、
じじぃに不信感もつのった。
その時に、セカオピや転院を考えれば良かったのよね。
身体の不調も虫の知らせ的だったのかもねぇ?
今言っても遅いけど、、、

そして今日、7月30日。
転院先の病院へ行ってきた。

割と若い男の医師で、いわゆる脂ののった、と言われる年代のような気がする。
先ず、家族を連れてきていない事を指摘されるが、家族が居ないし、、、
居なくても後見人なりなんなり、と色々あったが、
言うべき事はちゃんと言い、こちらの話もちゃんと聞いてくれるタイプなので、
話はしやすいと思うし、これからもお願いできそうな感じの医師だった。

じじぃの紹介状は、しっかりとした情報が提供されておらず、
な~んか予感がして?とりあえずこれまでの血液検査の結果やもらった資料を
予め全部コピーして持って行ったので、その中の1枚が役に立ったが、
結局、じじぃの病院に聞いても何も教えてもらえないらしいし、
これまで紹介されてきた患者をみると、使っている抗がん剤は
量が全く足りていない事と、標準的な治療が全くされていないとの事だった。
だから、今の抗がん剤も全然しんどくないでしょ?と。
確かに、しんどくてどうしようもないって感じにはならなかったから、足りてなかったのね。
それに、6年前の癌の経緯を話し、グレーゾーンの腫瘍を切って癌が見つかっても
再手術や周りの脂肪、リンパもとらず、ホルモン治療、抗がん剤、放射線の治療を
行った旨を伝えると、その医師は絶句した。

総合すると、6年前の治療も、これまでも、そして転移してから行っている治療も
全く標準的な治療でなかったのだ。
なんでその病院に行ったの?とまで。
でもじじぃは「その医師は、わしが10年前に教えた」と豪語していたよ。
その教え子にぼろ糞に言われるじじぃって(^^;;;
ま、でも、医師って一線を退いたら役に立たないんだね。

そして、これから、辛くても抗がん剤の治療を受けるか否か、どこまでの治療をするか、その辺もお話し(抗がん剤はもちろん受ける、ボロ雑巾のようになってまでは治療は受けない等々)先ずは資料がほとんどないので、血液、CT、MRI、RIの検査を受ける事になった。

治療は1からのスタートになる。
身体は1からじゃないけどね(^^;;;

検査結果を待って、治療方針が決まる事となる。
治療もきっと、今の倍ぐらいはしんどくなるんじゃないかなぁ?と
思ったりしてるけど、まだもうちょっと生きていたいので(^^;
出来る限り頑張ってみたいと思う。
いけるところまで行って、きっと引き際は自分で判ると思うし、
無理なく楽しい一生にしていきたいので、先ずは今日、その第一歩なのかな?

これまで、セカンドオピニオンや転院を勧めてくださった皆様、
そして、心の底からのいっぱいの応援をしてくださった皆様、
ありがとうございました!そして、これからもよろしくお願いしますm(__)m
また、心と身体がフラフラだと、自分でしっかりとした判断が出来ない時があります。
セカオピや転院、医師への提案等々、何かあったら遠慮なく
ご意見ご指摘くださいますよう、切にお願いいたしますm(__)m

大きな病院へ行くと、それだけで自分がめっちゃ病人になった気分で嫌なんだけど
めっちゃ病人なんだし、ちゃんと現実見つめて生きなきゃね!
そして!次のオリンピックを見る為に、サンバの練習しなきゃね!(^_-)-☆